バイクメーカー一覧
トップ > メーカー 一覧
参考:引用「フリー百科事典 ウィキぺディア
日本語版」2009年5月http://ja.wikipedia.org/
| 日本 | ホンダ(HONDA) |
|
本田技研工業株式会社(ほんだぎけんこうぎょう、Honda Motor Co., Ltd.)は、日本を拠点とする
大手機械工業メーカー。 主に「Honda」のブランドでオートバイと自動車、汎用製品を製造している 。新規分野としてASIMOのようなロボットや小型飛行機も開発している。 創業者の本田宗一郎は経営者・技術者として著名であり、社名は本田の姓から名づけられた。本社は東京都港区南青山二丁目。 戦前より自動車部品などを製造していた東海精機をトヨタグループに売却した資金を元に、1946年、静岡県浜松市(現・浜松市中区)山下町(後の山下工場)に本田技術研究所として開設され,内燃機関および各種工作機械の製造、ならびに研究を開始。 1947年にはA型自転車用補助動力エンジンを開発した。 1948年に本田技研工業株式会社として設立。 二輪 自転車用原動機を製作したことが社業の始まりとなり、ヒットを記録。その後、原動機付自転車 の分野でスーパーカブという空前絶後の大ヒット作を生み、世界のあらゆる地域で使用された。 これによって、「スーパーカブのHonda」と知名度を大いに上げ、国際二輪業界において日本のメーカーが覇権を握る下地となった。 スーパーカブは全世界通算で6,000万台(2008年4月末時点)が製造され、「世界で最も多く製造されたオートバイ」となっている。 社の業務として「モータースポーツの振興」を挙げるだけあって、スポーツモデルにも力を入れており、二輪ロードレースの世界最高峰カテゴリであるロードレース世界選手権 (MotoGP)や プロ ダクションレースであるスーパーバイク世界選手権(SBK)での実績をフィードバックしたスポーツモデルが好評である。 ほとんどの分野、ほとんどの排気量において優秀なモデルを送り出し、オー トバイ生産台数世界第1位の座を盤石のものとしている。 |
|
| ヤマハ (YAMAHA) | |
| ヤマハ発動機株式会社(ヤマハはつどうき、YAMAHA MOTOR CO., LTD. )は、静岡県磐田市に本社を置く、主に自動二輪を中心とした輸送用機器を製造するメーカーである。 飛行機プロペラなどの軍需生産のための製造設備の平和利用を目的とし、日本楽器製造(現ヤマハ)社内でのオートバイ生産を開始、1955年7月1日に日本楽器製造から分離される形で、オートバイ製造販 売業としてスタートした。この関係でヤマハと同様の「YAMAHA」ロゴや、円の中に音叉が3つ組み合わさったマークを使っているが、どちらも2社で細部の違いがある。 現在はオートバイ・スクーター部門だけでなく、レジャーボート(フィッシングボートを含む、また、最近ではごく一部ではあるがヤンマーと共同開発(ヤンマーフィッシングボート「FZ30」、2006年4月 発売)を行っている)、船外機、スノーモビルなどのモーター関連事業や電動自転車、産業ロボットなどの産業機器などを展開している。 二輪 1955年に日本国内レースである富士登山レースや浅間火山レースに出場し、ホンダなどの先行有力メーカーを抑えて優勝するなど、創業直後から積極的にモータースポーツに参加し成功を収めている。 二輪ロードレース競技においては他のメーカーと鎬を削る状態となっており、特にロードレース世界選手権ではホンダと激しいトップ争いを繰り広げている。2004年からはホンダから移籍したバレンティーノ・ロッシがエースとなり、MotoGPクラスで2年連続シリーズチャンピオンとなっている。 また2005年はMotoGPクラスにおいてライダー(ロッシ)、チーム(ゴロワーズ・ヤマハ)、コンストラクターの三冠を達成した。 |
|
| カワサキ (KAWASAKI) | |
| 川崎重工業株式会社(かわさきじゅうこうぎょう)は、船舶・航空機・鉄道車両・二輪車等の輸送機器、その他機械装置を製造する日本の企業である。 二輪車メーカーとしてのカワサキは、川崎航空機が戦後の1958年にメイハツとして二輪車用エンジンの製造を始めたことに由来する。 1964年に大型二輪車メーカーのメグロを吸収し、大型車の 製造に進出して今に至る。 現在は川崎重工業 汎用機カンパニーが設計・製造を担当し、国内販売子会社であるカワサキモータースジャパンが国内営業をする形態をとる。オートバイを中心とす る汎用機カンパニーは現在の川崎重工全体の売上高のうち約3割を占め、いまや同社最大の収益源となっている。 なお日本国内においては二輪車市場の多くを占める50ccクラスや実用車およ びスクーターを全く持たないという特異な市場戦略を取っており、販売台数ベースでは国内メーカー4社中最下位のシェアだが、付加価値の高い大型二輪を得意としている為、大型二輪での販 売台数に限っては国内第二位となっている。 その為、二輪車愛好者の間では「大排気量のカワサキ」として認知度はきわめて高い。オートバイメーカーとしてのコーポレートカラーは、特徴的 なライムグリーン(とブルー、ホワイトのライン)この塗装は「カワサキカラー」としてバイク愛好家に親しまれている。また2003年からはロードレース世界選手権(MotoGP)にカワサキレーシングチ ームとしてZX-RRで参戦していたが、2008年のシーズン終了をもって活動を休止した。 |
|
| スズキ (SUZUKI) | |
| スズキ株式会社(英文名Suzuki Motor Corporation)は、日本の四輪車、二輪車メーカー。1909年10月 創業者鈴木道雄により、鈴木式織機製作所として浜松で創業。現在の本社所在地は静岡県浜松市南区高塚町300である。 四輪車は軽自動車が主力だが、小型、普通車とも、躍進が著しい。 自動車以外ではモーターサイクル、モーターボート、船外機、発電機、住宅、ワ インの販売なども手がける。 二輪車の分野では1980年代に爆発的な人気となったレーサーレプリカの第1号としてRG250ガ ンマ(2サイクル)を発売した。 今日、特に欧州で人気の400ccや650ccのビッグスクーターの第一 号もスズキによって発売された。 それ以前にも250ccのスクーターはホンダなどにより既に発売 されていたが、それはあくまで(高速道路も走る事ができる、50ccや125ccの標準的な排気量の スクーターから見れば)「巨大化したスクーター」としてのみ認知されていた。それをスクーターとし ては異例な400ccの大排気量エンジンを搭載し、さらに巨大な650cc(スクーターとしては、発売 当時世界最大の排気量であった)というエンジンを載せてビッグスクーター=プレミアム・スクータ ー(高価格ではあるが、四輪車の十分な代用となり高性能である、といったような複合的要素)と いう図式を作り上げた。 これによりビッグ・スクーターは上記の80年代のレーサーレプリカと同じよ うに人気となる。馬力競争にも積極的に参加し、スズキの車種の出力が後の業界自主規制値と なった例も多い。 例として、二輪車250ccクラスの45馬力(RG250ガンマ)、同400ccクラスの59馬 力(GSX-R)、軽自動車の64馬力(アルト・ワークス)が挙げられる。 |
|
| メグロ (目黒製作所) | |
| 目黒製作所 (めぐろせいさくしょ)は、かつて日本に存在したオートバイメーカーで、「メグロ」の
通称で知られる。第二次大戦前からの日本メーカーとしては最も遅くまで活動していたが、川崎
重工業に吸収された。 初めは「鈴木鉄工所」と称し、海軍軍人だった鈴木高次が1925年に設立、村田延治が後に参 加した。1926年から「目黒製作所」を名乗るようになった。株式会社となったのは1939年である。 1937年、最初のメグロ号・Z97を発売し好成績を残した。第二次世界大戦の激化とともにオートバ イ事業は中断、航空機の部品を製作するようになった。 戦後は再びオートバイ事業に戻り、最盛期の1959年には市場での人気を得た「メグロ・S3」など の好業績により年間15000台のオートバイを生産し、第2回の全日本オートバイ耐久ロードレース (通称浅間火山レース)セニアクラスで活躍した。 しかし、ホンダ等の戦後派メーカーに押され業績が悪化し、1960年に川崎航空機工業(現在の 川崎重工業)と提携したものの業績は上向かず、1963年には傘下となって「カワサキメグロ製 作所」と改名。 1964年についに事実上の倒産となり川崎航空機工業に吸収されこれで戦前からのオートバイ メーカーは全て消滅することとなった。 |
|
| 富士産業 | |
| 太平洋戦争終戦後、GHQにより財閥解体の対象となった「中島飛行機」が、1945年に富士産業
と改称された。 太田と三鷹工場の技術者たちが、当時のアメリカ製の簡易なスクーターパウエル式スクーター を手本に、日本国内の経済性や道路事情を考慮して開発したのが「ラビットスクーター」で1947 年に発売された。 「ラビット」は運転が簡易で扱いやすかったことから、市場の人気を博し、メー カーの屋台骨を支える重要な商品となった。「ラビット」シリーズのスクーターは、モデルチェンジ を繰り返しつつ富士重工業成立後の1968年まで生産された。 一部モデルは海外へも輸出され、1968年6月に生産を終了した(富士重工業)。 富士産業は、1950年8月、当時の政策によって財閥解体の対象となり、工場毎に15社以上に 分割された。 |
|
| フキ・プランニング (FUKIPLANNING) | |
| FUKI PLANNING (フキプランニング) 社は、日本唯一のモペットメーカーであり、またポケットバイ
クやスケート靴の製造元としても有名である。 神奈川県横浜市に本社を置き、代表取締役は畔柳富士夫(くろやなぎ ふじお)。創業は1978年 。同社の主力製品はモペットのFK310シリーズである。同車は主に中国に輸出されているが、日 本国内でも販売されている。 2008年現在、日本唯一のモペットメーカーである。 |
| アメリカ | ハーレーダビットソン (Harley-Davidson) |
|
ハーレーダビッドソン (Harley-Davidson、NYSE:HOG) は、ウィスコンシン州ミルウォーキー市に本
部を置くアメリカ合衆国のオートバイ製造会社である。 通称ハーレー。日本での公式名は「ハーレ ーダビッドソン」だが、実際の発音は「ハーリー=デイヴィッセン」に近い。 1903年にアーサー、ウォルターのダビッドソン兄弟とウィリアム・シルヴェスター・ハーレーによって 設立された。なおハーレーの名が先に来るのは、ウィリアムがエンジン設計を担当したため。 ハーレーダビッドソン社製オートバイ最大の特徴は、大排気量空冷OHV、V型ツインエンジンがも たらす独特の鼓動感と外観であり、これに魅せられた多くのファンがいる。駆動はクランク運動を プライマリーケース内でチェインからベルトに変換され後輪へと伝えるベルトドライブである。国産 メーカーの“アメリカン”と呼ばれるカテゴリーのほとんどは、OHC、V型ツインエンジンで、ドライブ 以外の特徴を真似たスタイルとなっている。 また、2002年に同社製としては初の水冷DOHC Vツ インエンジン(レボリューションエンジン)を搭載したオートバイも誕生した。 日本市場では、二輪市場全体が縮小する中、2001年には国内メーカーを抑え750cc超の大型車 シェア首位を獲得した。1996年の大型自動二輪車免許創設による自動車教習所での免許取得制 度確立や、 2005年からの道路交通法改正による自動二輪車の高速道路二人乗り解禁には、ハ ーレー等外国メーカーの強い要望が背景にあったとされる。 日本では1912年に日本陸軍が初めて輸入を行ない、後にサイドカーを中心として軍用車両として 用いられた。 一時期は国内で「陸王」の名でサイドバルブエンジン搭載の車両がライセンス生産・ 販売されたこともあったが、製造メーカーが倒産した後は再び代理店による輸入販売のみとなり、 現在は 1989年に日本法人のハーレーダビッドソンジャパン(株)が設立され正規販売を行なって いる。 |
|
| ビューエル (Buell) | |
| ビューエル (Buell) は、アメリカ合衆国で生産されているオートバイのブランドである。 1983年、 当時ハーレーダビッドソンのエンジニアだったエリック・ビューエルが制作したオリジナルバイク RW750を期に、1986年ビューエルモーターサイクルカンパニーを設立した。 設立当時はハーレー ダビッドソン製のエンジンをオリジナルフレームにマウントし、ハーレーダビッドソンと異なるロード スポーツバイクを製作し販売していた。1998年、ハーレーダビッドソンにより買収されて社内ブラ ンドとなってからは、必然的に「自社製」のエンジンを搭載したバイクを製造しているが、近年はエ ンジン部品をハーレーダビッドソンブランドの車両と共通にして用いることが多くなり、ハーレーダ ビッドソン車両全体の近代化に貢献している面がある。 |
|
| タイタン (Titan) | |
| タイタン・モーターサイクル・カンパニー (Titan Motorcycle Company) は、1994年に設立された、
米国アリゾナ州フェニックスにあるオートバイメーカー。 日本国内では、株式会社イージーライダー スが正規ディーラーを務める。 ライン生産を行っている大規模メーカーとは異なり、"One man, One bike" のコンセプトの下、タイタン社独自のセルシステム (Cell System) と呼ばれる方法で、車 両1台毎に職人1人という、ハンドメイドに近い状態で生産が行われている。この方法は大量生産 には向かないが、購入したユーザーが希望した仕様に限りなく近く仕上げることができ、かつ従 業員の士気を高め、その結果製品の質を高く維持できる、というものである。 2001年には経営に行き詰まり、一度倒産してしまう。しかしディーラーの1人がブランドを買収して タイタン社は復活を遂げる。 倒産前より会社の規模は縮小されたが、創業当時と変わらぬコンセ プトでオートバイの開発・生産は続けられている。 |
|
| カノン (Kannon) | |
| カノン (KANNON) は、アメリカ合衆国のオートバイメーカー。 総排気量が5,000ccを超えるV型8気 筒エンジンを搭載するモデルを数多くラインアップする。 ベガスモーターサイクルズ が 日本国内での「カノン」正規ディーラー。 |
|
| ボスホス (BossHoss) | |
| ボスホスモーターサイクル (Boss Hoss Motorcycles Inc.) は、アメリカ合衆国テネシー州ダイア
ーズバーグ市に本社のあるオートバイ製造会社。 総排気量5,700ccを超えるクルーザータイプの 超大型車をラインアップするメーカーとして有名。 オートバイ以外にはトライク(三輪車)を製造して いる。 なお、同社の日本法人である「ボスホスジャパン」は、栃木県足利市に所在している。 |
| イタリア | ドゥカティ (Ducati) |
|
ドゥカティ(Ducati )は、イタリアのボローニャを拠点とするオートバイ製造販売会社(メーカー)で
ある。以前はドカティとも表記された。 1952年まで製造していたカメラのメーカーとしては一般的に デュカティと表記される。 1926年にアントニオ・カヴァリエリ・ドゥカティの息子達である、ブルーノ・ドゥカティ、アドリアノ・ドゥ カティ、マルチェロ・ドゥカティの三人兄弟が設立。当初はラジオや無線の部品製造会社であった が、その後は家庭用ラジオや電気剃刀やといった様々な電気あるいは機械製品をも手がけるよ うになった。 その後第二次世界大戦により大きな被害を受け、産業復興公社(IRI)の支援を受け ることとなる。その頃トリノにあったシアタ社は原動機付き自転車クッチョロ(Cucciolo、子犬の意 )を発売してベストセラーとなっており、エンジンのOEM生産先を探していた。 その事情を産業復 興公社が知ってドゥカティを紹介し、1946年ドゥカティでエンジンを生産することになる。ドゥカティ は1947年には販売権を獲得し、改良しつつ総計25万台以上を販売した。 ドゥカティは比較的初 期の段階からレース活動を積極的に続けており、レース活動で得たデータを活かして公道用市 販車の開発に積極的に役立てるのもドゥカティの特徴の一つとなっている。 2007年 - ワークス契約ライダーのケーシー・ストーナーとドゥカティ・マルボロチームがMotoGP クラスで年間優勝、ドゥカティ初の3部門(ライダーズ、コンストラクターズ、チーム)すべての制覇 を成し遂げた。日本メーカー以外のマシンが世界最高峰のオートバイレースで年間優勝したのは 1974年のMVアグスタ以来33年ぶり。 MotoGPで出場していた車両(デスモセディチ)を基に一般 公道走行可能にした車種が発売された。 |
|
| カジバ (Cagiva) | |
| カジバ (Cagiva) は、イタリアのオートバイ製造会社(メーカー)である。
当初は、1950年にジョヴァンニ・カスティリオーニが、金属部品製造会社として創立した。 社名は、 創立者のイニシャルである「CA(カスティリオーニ)」と「GI(ジョヴァンニ)」、そして創立地ヴァレーゼ のイニシャル「VA」をあわせたものである。 1978年に創立者の息子であるカスティリオーニ兄弟が アエルマッキを買収しバイク製造を開始。 1983年にドゥカティと提携し、その後資金難に陥った ドゥカティを1985年に買収。1986年にハスクバーナのオートバイ部門、1987年にモトモリーニ、 1993年にCZを買収し、わずか10数年で巨大バイクメーカーに成長する。 この時期には、ロードレ ース世界選手権やダカール・ラリーといった、積極的なレース活動を行ない、いくつかの成績も残 している。 しかし、バイク市場の競争激化などから、経営危機に陥る。1999年ドゥカティを売却。 その後、二輪での商標使用権と製造販売権を獲得したMVアグスタのブランド復活とともに、社 名もMVアグスタモーターと変更する。 なお2008年にMVアグスタが販売不振を背景としてハーレ ーダビットソンに買収されたことから、カジバもハーレー傘下となった。 |
|
| アプリリア (aprilia) | |
| アプリリア(aprilia SpA)は、イタリアのオートバイメーカーである。 第二次世界大戦直後、アプリリアは自転車生産を開始し成功を収めた。1968年に創業者である バリエ・アルベルト・バッジオから息子のイバノ・バッジオが経営を引き継ぐ。 イバノはエンジニア の協力を得てモペットを制作し、その後は1974年に本格的なモトクロッサーを制作。モトクロス世 界選手権シリーズに全日本モトクロスチャンピオンの鈴木都良夫選手を擁し参戦。 1977年には レプリカモデルを発売し成功を収める。1990年代に入ると、ロードバイクだけではなくスクーターな どの実用的なバイクの生産にも参入し、モト・グッツィ、ラベルダ社などを買収するが、その後の 経営戦略の失敗、事業拡大、レース活動の資金の膨張により財政難に陥り2004年8月同業の ピアジオの傘下に入った。 基本的には車体とエンジンを一体で開発、販売する会社であるが、 RS250ではスズキからRGV-Γ用のエンジン提供をうけていた。 また現在も継続使用されている 1000ccのV2エンジンについては、ROTAX社が開発(アプリリアとの共同開発との説もある)した ものである。モータースポーツでの活躍(1990年代に原田哲也や坂田和人がアプリリアのマシ ンでロードレース世界選手権参戦)もあり、日本ではイタリア車としてドゥカティ、ビモータと並び 知名度の高いブランドである。 |
|
| ビモータ (Bimota) | |
| ビモータ(Bimota S.p.a.)は、イタリアのオートバイ製造会社であり、bimotaは同社のオートバ
イ製品のブランドである。 ヴァレリオ・ビアンキ(Valerio Bianchi)、ジュゼッペ・モーリ(Giuseppe Morri)、マッシモ・タンブリー ニ(Massimo Tamburini)の三人よって、当初は空調設備の会社として1966年にリミニにて設立さ れる。会社名の由来は、三人の名前(姓)の綴りから最初の2文字ずつを組み合わせたもの(BI- MO-TA)である。 タンブリーニは1972年に趣味のオートバイレースで大破した自らの車両(CB750) を、空調設備の仕事でもなじんでいたパイプ加工の技術を活かしてフレームから作り直した。こ れが後のHB1の原型であり、ビモータとしての第1号車でもあった。 モーターサイクル史上に残る 唯一のセンターハブ・ステアリングを搭載する市販車テージ・シリーズも同社の製品である。 ビモータはその高価格と少数販売という形態からか、商業的には何度か経営の危機を経験して いるが、それまではなんとか再建の道をたどってきたが、2000年会社は倒産に至る。 2003年に新たな資本を獲得し復活。 セルジオ・ロビアーノのデザインによる、ドゥカティ製エンジ ンを搭載したDB5 MILLEとテージ 2Dを発表。 DB5では、BIMOTAのお家芸でもあるクロモリトラス パイプとアルミ削り出しのピボットプレートを組み合わせたコンポジットフレームを採用し、軽量な 車体と相まって「ハンドリングマシン」と呼ぶにふさわしい傑作を生み出した。 2006年にはDB5 MILLEをベースとしたネイキッドモデル、DB6 DELIRIOを発表。フェアリングを取り去っただけの 安易な派生モデルではなく、独自の「振り回せる」ハンドリングは、新生BIMOTAの完全復活を 世に示した。 |
|
| ピアジオ (Piaggio) | |
| ピアジオ(Piaggio & C. S.p.A.、イタリアではピアッジョ)は、イタリアのオートバイ・自動車メーカー。 二輪では、ヨーロッパ最大手。1884年、創業者、リナールド・ピアジオが船舶用パーツメーカーとし て設立し、1946年にスクーターの代名詞とも言える「ベスパ」の生産を開始する。 現在もベスパブ ランドを生産し、その他ピアジオブランドのスクーターやモペット、マイクロカーを生産している。 ま た、ダイハツ工業と提携し、軽貨物車のハイゼットを「ピアジオ・ポーター」という名称でライセンス 生産している。 同社のベスパはオードリー・ヘプバーン、グレゴリー・ペックが主演した映画『ロー マの休日』で使用された事で有名である。 2006年5月に前輪が2つ、後輪が1つという構成のビッグスクーター型トライク(三輪車)「MP3」を 発表した。2007年3月に日本で「MP3 250RL」を発売開始。日本では、普通自動車免許で乗るこ とができ(普通自動二輪車を必要としない)、維持費が250cc二輪車と同等という特性を持ち注 目を浴びている。 ベスパ ヴェスパ(Vespa) は、イタリアのオートバイ・メーカー、ピアジオが製造販売するスクータ ーの製品名。 イタリア語でスズメバチを意味する。 最初のベスパは1946年に登場した。スチール モノコックボディや、駆動部までふくめて一体化されたスイングユニットのエンジンは当時としては 画期的だった。モノコック構造やタイヤ交換を容易にする前輪の片持ちサスペンションなどは航空 機技術に由来する。初期のベスパは戦後大衆への普及を意図した大衆車であり、後にインド及 び東南アジア各国でもライセンス生産され、広く使用されてきた。 日本においては、その独特のデ ザインと、映画、ドラマ等に使用された事により人気を呼んだ。 中でも「ビンテージシリーズ」と呼 ばれる排気量50cc~125ccの小型車種は、旧式化によりイタリア本国での製造が終了したにも 拘らず、日本国内での人気から特別に日本向け輸出製品として再生産された。 1953年公開の米国映画『ローマの休日』でグレゴリー・ペックが演じる新聞記者とオードリー・ヘ プバーンが演じるアン王女がイタリアのローマ市内を見物するシーンで二人乗りが紹介され日本 で愛好家が増えた。 |
|
| モト・グッツィ (Moto Guzzi) | |
| モト・グッツィ (Moto Guzzi) は、1921年に設立された、イタリア・ロンバルディア州、コモ湖畔の村
マンデッロ・デル・ラーリオに所在するオートバイメーカー。ピアジオ社傘下。 空冷縦置き90°Vツインエンジンとシャフトドライブの採用が同社のアイデンティティとなっており、 同レイアウトでネイキッド、クルーザー、デュアルパーパス、スポーツツアラー、スーパースポーツ まで、様々なタイプの車種をラインナップする。 日本国内での正規ディーラーは福田モーター商会 。現存するイタリア最古のメーカーで、創業は1920年に遡る。第1次世界大戦時に、イタリア空軍 に徴兵された3人の 若者達の出会いが切っ掛けで、よって現在でも会社のエンブレムは、イタリ ア空軍の象徴である“AQUILA”(アクイラ=鷲の意=ローマ帝国に遡る由緒あるエンブレム)を戴 いている。 創業直後よりレース活動に取り組み、1921年の創業直後のタルガ・フローリオで 優勝したことを端緒として、 1957年までワールドチャンピオンシップの常勝チームとして名を馳せ 、14回のワールドタイトル獲得と11回のマン島TT優勝を成し遂げている。 創業者「カルロ・グッツィ」の愛弟子であった「ジュリオ・チェーザレ・カルカーノ」技師により DOHC V8 500CCの究極のGPレーサー「オットー・チリンドリ」が産み出された。 ホッケンハ イムサーキ ットで最高速度275Km/hと平均速度199Km/hを記録したモンスターマシンは、現在でもGP史の みならず、イタリア二輪産業界の輝かしい1つの頂点として記録されている。 ちなみに、この「カ ルカーノ」技師が、現在のVツインエンジンの原型を設計したことは、有名なエピソードである。 市販車では、1928年には先進的なリアサスペンションとフェアリングを装備したツアラー モデルの先駆けと言える「GT」を開発し、「カルロ・グッツィ」とその兄の「ジュゼッペ・グッツィ」の 兄弟によるノルウェーの北極圏地帯までの走破を成し遂げ、この時の事跡を記念し、このモデル は以後「GTノルジェ」(ノルジェはイタリア語でノルウェーの事) と呼ばれ、最新のツアラー「1200 GT」にもこの車名は引き継がれている。1957年以降は、膨大な資金を必要とするレース活動か ら撤退し、公道を快適に走れるツアラーモデル専業メーカーとして活動を続けている。 |
|
| MVアグスタ (MVAgusta) | |
| MVアグスタ(MV Agusta )はイタリアのオートバイ会社。 1923年アグスタ伯爵家のジョバンニ・アグスタが「ジョバンニ・アグスタ航空会社」を設立、航空 機の生産と整備を開始する。 1943年排気量100ccの2サイクルエンジンを搭載したモペッドの製 造を開始する。 1945年大戦終結、アグスタはモペッドから発展したオートバイの生産を主力とした 子会社MVアグスタ(メカニカ・ヴェルゲーラ・アグスタ:ヴェルゲーラは会社のあった地名)を設立。 第二次世界大戦後に国際レース活動で高い成績を残したが、親会社の意向で約30年の活動 後、解散する。1976年のレース撤退までの間、優勝は通算3,027回、うち世界GPで270回を数え、 37個のタイトルを獲得した。 この期間に生産された市販車は競技車なみの高性能を誇り高価で 希少なことから、後の「レーサーレプリカ」のはしりとして世界中の垂涎の的となった。特に600/ 750ccの並列4気筒モデルはWGPマシンのエンジンを拡大したレーシングマシン直系といえるも ので、ホンダ・CB750が登場するまで世界唯一の一般市販された横置き並列4気筒バイクだった。 その約20年後の1999年、別会社の資本参加で再活動している。とはいえブランド名が復活した だけで、1970年代以前とは全く別の会社である。 その後2004年にマレーシアの自動車メーカー、 プロトンの傘下に入るが、依然として業績低迷が続き、2005年12月27日にプロトンは全保有株を イタリアの投資会社GEVIにわずか1ユーロで売却することを発表した。その後も業績不振が続き 2008年7月11日ハーレーダビッドソンに売却されることで合意。 |
|
| ジレラ (Gilera) | |
| ジレラ(Gilera)は、イタリア・アルコレのオートバイ製造会社(メーカー)。1969年にピアジオに買 収されてからは、ジレラは同社が所有する6つのブランドのひとつとなった。 ジレラは、1909年にジュゼッペ・ジレラが創業した。同社は、世界で初めてオートバイ市販を行っ た。1969年にピアジオの傘下に加わった後、ジレラは小型から大型までのスクーターを中心とし たブランドとなった。これらはピアジオを代表するスクーター・ベスパとは路線を異にするスポーテ ィーなシリーズとして位置づけられている。 2001年のロードレース世界選手権125ccクラスではマヌエル・ポジアーリの運転によりチャンピ オンを獲得した。2000年代からは、スポーツバイクも発表している。 | |
| イタルジェット (Italjet Moto) | |
| イタルジェット (Italjet Moto) は、1959年に設立された、イタリア・ボローニャに本社のあるオート
バイメーカー。主に小型オフロード車やスクーターなど、小排気量車の生産を中心としている。 オートバイ以外には、全地形対応車 (ATV) の生産なども行っている。 |
|
| マラグーティ (Malaguti) | |
| マラグーティ(Malaguti)はイタリアのボローニャに所在するスクーターメーカー。 1930年に自転車製造業を開始する。 創業者のアントニオ・マラグーティは、自転車レーサーと して何度も優勝する活躍をしている。 第2次世界大戦後の1950年に、それまで安価な移動輸 送手段としてしか知られていなかったスクーターに、斬新なデザインと職人的な工夫を取り入れ 、数々のヒットモデルを世に送り出してきた。 1990年代にはファントムシリーズなどで日本のスクーターファンにも認知されるようになり、 マ ラグーティのフラッグシップモデルと言うべきMADISONは高い支持を受けている。 |
|
| アディバ (adiva) | |
| アディバ(Adiva)はイタリヤ人発明家のNicola Pozioによって1996年立ち上げられた。 彼が開発したのが、折りたたみ可能の屋根つきスクーターである。(コンバーチブルスクーター) 2000年のミラノモーターショーに出品され各方面から高い支持を得る。 その後べネり・ルノー からOEM販売されるようになった。 アディバの開閉式ルーフは2004年に国際特許を取得する。 Nicolaはアディバのさらなる進化を目指してモデル名の「ADIVA」をブランド名として掲げ、モデ ルチェンジした最新のアディバであるAD250の発売を実現させた。 |
|
| ベータ | |
| ベネリ (Benelli) | |
| ベルティマーティ | |
| エイチエム(HM) |
| ドイツ | ビー・エム・ダブリュー(BMW) |
| Bayerische Motoren Werke AG(バイエリッシェ・モトーレン・ヴェルケ・アーゲー〈バイエルンエン
ジン製造工場〉通称:BMW)は、ドイツのバイエルン州ミュンヘンを拠点とする自動二輪車及び四
輪自動車メーカー。 高級車メーカーとしては、世界最大である。 本社ビルは、エンジンのシリンダ ーを模した円筒形を4つ組み合わせたような形をしており、Vier Zylinder(フィーア・ツュリンダー、 英語でfour cylinders)と呼ばれる。 傘下には、それぞれイギリスのロールス・ロイスとMINIという 2つのブランドがある。 株式の約47%がスザンネ・クラッテン、シュテファン・クヴァントら、ドイツ・ク ヴァント家により所有される同族会社である。 モータースポーツに積極的で、F1にはエンジン供 給者として1980-1987年と2000-2005年の2期参戦した。2006年、ザウバー・チームを買収しB MWザウバーF1チームとしてワークス参戦した。BMWの発音は、ドイツ語では「ベー・エム・ヴェ ー」であるが、日本では英語読みの「ビー・エム・ダブリュー」が一般的である。 エンブレムの由来 黒く縁取った円の中央を十字に4等分し、点対称に青と白に塗り分 けたデザインである。 色はバイエルン王ヴィッテルスバッハ家の紋章に起源を持つ旧バイエルン 王国(現在は州)旗にちなむ(「回転するプロペラ+バイエルンの青い空と白い雲」のイメージ)。 日本での販売 1981年までの輸入は、バルコムトレーディングカンパニーが行っていた。 1981年、ドイツBMW・ AGの100%出資によりビー・エム・ダブリュー株式会社(BMWジャパン)が設立され、以降は同社 が輸入元となっている。 BMW Japanの完全子会社には、販売会社BMW東京がある。 二輪機種 BMWの2輪は他の2輪とは異なる機構を採用している例が多いのが特徴である。特に水平対向 2気筒エンジン、乾式単板クラッチ、シャフトドライブ、このいずれかを採用しているものが多い。 |
|
| ザックス (Sachs) | |
| ザックスバイク(Sachs Bikes ,SACHS Fahrzeug- und Motorentechnik GmbH )は、ドイツ中部
のニュルンベルクに本社を置くオートバイ、モペッドの製造企業。50ccから125ccまでの比較的
小さな排気量のオートバイおよびモペッドを製造している。 400ccのビッグスクーターや4輪ATVも 元来自転車のリム、ハブなどを生産する企業だったが、後にオートバイやショックアブソーバー製 造に着手した。ショックアブソーバー、クラッチ板製造の大手メーカーで、ドイツ南部のシュヴァイン フルトに本社を置くZFザックス(ZF Sachs AG)から独立、オートバイ・モペッド専門メーカーに至っ ている。 |
|
| クラウザー (MichaelKrauser) | |
| クラウザー(Michael Krauser Motorradtechnik und Touren GmbH)は、ドイツのオートバイ及び
関連製品製造企業。 オートバイ用トランク製造企業として知られるが、1980年代からレース用 高性能オートバイ及びトライクを少数機種・少量生産するオートバイメーカーとしての顔も持つ。 |
|
| MZモトラッド(MZ Motorrad ) | |
| MZモトラッド(MZ Motorrad )は、ドイツのオートバイメーカー。かつてはDKWと名乗っていた(DK
Wの四輪部門はのちのアウトウニオン、現在のアウディに統合されている)。 第二次大戦後はMZと名を変え、トラバントとともに東ドイツの代表的な工業製品だった。なかで もRT125はヤマハのYA-1にも影響を与えたとされている。 ドイツ再統一後も生産されている。 |
| イギリス | トライアンフ (Triumph) |
| トライアンフ (Triumph) とは、イギリスを拠点とするオートバイ製造販売会社(メーカー)である。 また、現在操業しているオートバイ製造販売会社としては最も古い部類の一つでもある。 ニュルンベルク出身のユダヤ系ドイツ人であったシーグフリード・ベットマンが、イギリスのロンド ンで1885年に設立した輸入貿易会社「ジークフリード・ベットマン貿易会社 (Siegfried Bettma nn & Co. Import-Export Agency) 」がトライアンフの原型である。1887年にコヴェントリーに移っ て「トライアンフ・サイクル社 (Triumph Cycle Co.Ltd) 」を設立、自社生産の自転車を販売する 会社となった。 1902年には、他社製エンジンを自社製フレームに搭載したオートバイナンバー1 を生産。 やがて1905年にはエンジンも含めたほぼ完全な自社生産車が登場、1906年には、社 名も「トライアンフ・エンジニアリング社(Triumph Engineering Co.Ltd)」となった。 1936年にはオートバイ部門が、当時トライアンフと同様に世界恐慌で倒産寸前だったアリエルを 見事再生させたジャック・サングスター (Jack_Sangster) に売却され、遂にオートバイ部門と自動 車部門が分離された。 その後、第二次世界大戦、メリデン時代を経て、1984年に、不動産開発業で財を成した実業家 ジョン・ブルーア (John Bloor) がトライアンフの商標権や生産権を購入、新たなトライアンフを立 ち上げる。社名は当初「ボンネビルコヴェントリー社 (Bonneville Coventry Ltd) 」、のちに「トラ イアンフモーターサイクル社 (Triumph Motorcycles Ltd) 」となった。 はじめは徹底して部品共通化をはかった「モジュラーコンセプト」による効率的な車種開発が続 いたが、徐々に業績を伸ばしたトライアンフは、1997年には直列3気筒という独自性を保ちなが ら従来のモジュラーコンセプトを脱したT595デイトナを発表、2001年には新たな空冷並列2気筒 で往年の車種名ボンネビルを復活させるなど、他社とは違った特徴を持つ車種を送り出してい る。トライアンフでは、同じ車種名を長期に渡って使い続ける傾向があり、年式によっては同名車 種でもその外観などに大きな違いがある例が多い。 特にヒンクレー時代とそれ以前(コヴェントリ ーあるいはメリデン時代)とでは、同名車種でもまったく違うタイプの違う車種となっている場合が あるので注意が必要である。 |
|
| ノートン (Norton) | |
| ノートン (Norton)は、イギリスのオートバイ製造会社(メーカー)。 1898年にバーミンガムのジェ ームス・ノートンによって設立された。ジェームスは1907年、フランスやスイスからエンジンを 調達してオートバイの製造を始めた。1908年には内製を開始。 以後、長年にわたり単気筒車両 を製造し続けた。同年には(新競技方式での)第1回マン島TTレース2気筒クラスを制し、以後戦 時中を挟んで1954年までの間に通算10勝を挙げた。ノートンは、モータースポーツ界に高性能エ ンジンを提供し続けた、イギリスのオートバイ史上に栄誉ある名を刻んだ企業である。 経営不振などによる何度もの倒産や合併・解散を経て現在に至る。 1949年からは二気筒エンジンの製造も開始し、この伝統は1970年代に発売された500~850 ccの排気量の『ドミネーター』、650ccの『アトラス』や『コマンドー』ブランドに継承され、当時の 高級車としての評判を集めた。 また、「ノートン・フェザーベッド」や「アイソラスティック・フレーム」 またロータリーエンジンなどの革新的技術を開発・投入したオートバイを世に送り出した事でも 知られる。 現在、ノートンはパーツ類を製造する小規模な会社として存続している。 |
|
| ロイヤルインフィールド | |
| エンフィールド=ロビン・D-R400D( - ディーアール400ディー)はイギリスのレッドブレスト・エンジ
ニアリング社が開発・販売した、ディーゼルエンジンを搭載したオートバイ。 現在では生産中止に なっている模様。一時期レッドバロングループを通じて日本国内にも輸入され、ライダーたちの話 題を呼んだ。 かつての英国名門ブランドであり、現在ではインドのチェンナイに本社のあるロイヤルエンフィー ルドの主力モデル「Bullet(ブリット)」の車体に、日本の富士重工業製汎用製品用空冷単気筒 ディーゼルエンジン(DY41型)を搭載している。 尚、車名の「エンフィールド=ロビン」というのは直 接のメーカー名ではなく、「『ロイヤルエンフィールド』の車体に『ロビンエンジン』を搭載した」とい うところに由来している。 もちろん、日本で登録された車両の車検証には、「車体の形状」の欄に 「オートバイ」、「燃料の種別」の欄に「軽油」と書かれている。 |
|
| BSA(バーミンガム・スモール・アームズ社=Birmingham Small Arms) | |
| BSAはイギリスにかつて存在した小銃、自転車、オートバイ、自動車のメーカーである。バーミ
ンガムは高性能な小銃の産地として知られていた。BSAは元々そこで結成された組合である。 17世紀末にイギリス軍の小銃器メーカーからスタートし、軍需に合わせて自転車や三輪車も生 産し高い評価を得た。その後オートバイの生産に乗り出しBSAの名声は高まったが、第一次世 界大戦により再び主力商品が鉄火器へ戻る。 戦後ヨーロッパでオートバイブームが起こり、1950 年代にはBSAは名実ともに世界最大のバイクメーカーとなった。その後メーカー間の競争激化に より1973年に工場は閉鎖されBSAの歴史は幕を閉じたが、高い信頼性と根強い人気により、 現在では少数の中排気量バイクが復活している。 |
| フランス | プジョー (Peugeot) |
| オートモビル・プジョー(Automobiles Peugeot )は、フランスの自動車メーカーである。同じくフラ
ンスの自動車会社シトロエンとともに企業グループ「PSA・プジョーシトロエン」を構成している。 その他、50㏄~500㏄のモーターサイクルを欧州市場にて、製造販売している。 また19世紀末 より1980年代まで自転車を製造しており、プジョーの自転車は通算10回、ツール・ド・フランスの 総合優勝者の使用機材となっている。 後ろ足で立ち上がるライオンを象った企業ロゴ(ベルフォ ールのライオン)を採用している。 アルマン・プジョーが創設し、甥のロベールの経営によって発 展した。1974年に経営不振だったシトロエンを吸収合併、持株会社「PSA・プジョーシトロエン」 (当初は単にPSAと呼称=Peugeot Société Anonyme)を設立、さらに1979年にはクライスラー UK(旧ルーツ・グループ)及びシムカ)を傘下に収め、フランス最大の自動車メーカーとなった。 自 動車だけではなく、スクーターなどを中心に自動二輪車も別会社(プジョー・モトシクル)で生産し ている。PSAグループの自動車生産台数は、ホンダとほぼ同規模である。 プジョー・モトシクル (Peugeot Motocycles) はフランス・プジョーの二輪車部門である。 モペッド やスクーターを製造している。 フランスのトップメーカー。総生産台数23万台(1996年時点) |
|
| ソレックス (Solex) | |
| ソレックス (Solex) は、かつて営業していたフランスの機械製造企業。 キャブレターと原動機付自 転車(モペッド)「ヴェロ・ソレックス(VéloSoleX)」で知られる。 ソレックスは、1905年にMarcel M ennesson と Maurice Goudard によってラジエーター製造企業として設立された。 第一次世界大戦後にラジエーターの製造は少なくなっていき、キャブレターの製造にシフトして いった。 |
|
| エム・ビー・ケー(MBK) | |
| MBK(えむびーけー)は、フランスの自転車とオートバイの大手メーカーである。 ヤマハ発動機傘下のフランス現地関連会社だが、特にスクーターに関しては、ヨーロッパ各地 域へ製造車両を供給している。また、自転車メーカーとして、世界各国に供給している。 |
| オーストリア | KTM |
| オーストリアのオートバイメーカー。「クローノライフ氏、トゥルンケンポルツ氏、創業の地・マッティングホーヘン」の頭文字をとって、KTMと名づけられた。 始まりは、1953年、小さな田舎町マッティングホーヘンで、ハンス・トゥルンケンポルツ氏が、20人ほどの仲間を集めて、1日3台のオートバイ創りを始めた。 その後1991年に一度倒産したものの、翌年に再興を果たしてからは目覚しを生産し、ヨーロッパ第2位のメーカーに成長、世界12カ国以上の国に販売子会社を持っている。 長年オフロードバイクメーカーとして活動してきており、同社のオフロード車はモトクロス世界選手権やダカール・ラリーなどで好成績を収めてきた。 そのため性能も高く評価されている。近年はオンロードバイク市場にも進出を図っており、そのアピールの一貫としてロードレース世界選手権に 参戦している。 サスペンションメーカーのWP(ホワイトパワー)、オートバイメーカーのフサベル (Husaberg、スウェーデン)を傘下としている。日本国内では現地法人となるKTMジャパンが取り扱っている。 |
| オランダ | トモス (TOMOS) |
| トモス(TOMOS)は、オランダのモペット製造会社である。 TOMOSとは(Tovarna Motornih Koles Sezna )の略で、“Seznaオートバイ工場”という意味で ある。現在はHidriaホールディングの一部門としてモペットを製造している。 トモスのモペットにペダルがついており、ペダルをキックすればエンジンがかかるし、ペダルをこ げば自転車として使用できるが操作性はかなり重くなる。 長年ヨーロッパで愛されたクラシカルなスタイリングは、日本でも人気がある。 トモスの日本における総代理店は、ホノラリー社である。 |
| スウェーデン | ハスクバーナ (Husqvarna) |
| ハスクバーナ(Husqvarna)とは、スウェーデンに本社を置くチェーンソー及び芝刈り機のメーカー。 またオートバイのブランドとしても有名。ミシン製造部門が傘下の別会社に移管された後も、ス ウェーデン国内ではミシンのメーカーとして名前が通っている。 1903年 - オートバイの製造を開始。 |
|
| フサベル |
| スペイン | デルビ (DERBI) |
| デルビ(DERBI)はスペインのバイクメーカーで1922年に創立された。 古くからレース活動に熱心で、WGPの125ccクラスで年間チャンピオンを獲得するするなど、数々の輝かしい成果をおさめたことのある、伝統あるメーカーである。 また、デザインの面でも優れたモデルを世に送り出している。 デザインアワードで数々入賞するなど、その実力はモーターサイクル業界で認められている。 |
ガスガス (GasGas) |
| ロシア | ウラルモト (旧IMZ) |
| IMZ社(現ウラルモト社)(英:Irbitskiy Mototsikletniy Zavod 露:Ирбитский мот
оциклетный завод)は、ロシア連邦ウラル連邦管区スヴェルドロフスク州イル
ビト市に拠を置く大型オートバイメーカーであり、その主力商品「ウラル」の製造元として知られて
いる。 世界でおそらく唯一、その主力商品がサイドカーという珍しいオートバイメーカーで、近年日 本国内でも有名になっている外国車メーカーである。 現在本企業は、旧共産国のメーカであるに もかかわらず、2007年現在のロシアの好景気も重なって、積極的に世界営業戦略を展開してい る。 ウラルサイドカーは日本でも販売されており、新車を容易に入手可能。 2007年12月に、総代 理店ウラルモト社日本法人「ウラルジャパン株式会社が設立された。欧米では「コサックバイク」 の俗称で呼ばれている。 IMZ・ウラル(英:IMZ-URAL, 露:ИМЗ-УРАЛ,イー・エム・ゼー~)は、ロシアのIMZ社が製造 しているオートバイおよびサイドカーのシリーズ車種である。 |
| インド | ロイヤルエンフィールドモータース |
| 台湾 | 光陽機車 キムコ (KYMCO) |
| キムコ(光陽工業股份有限公司、Kwang Yang Motor Co.,ltd.)とは、台湾・高雄市に本社を有す
るオートバイメーカーの一つである。 オートバイのブランド名としては漢字で「光陽機車」、英語で 「KYMCO」とそれぞれ表記している。主力製品は50~250ccのバイクだが、ATVやシニアカー、 発電機の生産も行なっている。 1963年高雄市において設立され、2008年現在、台湾国内で最も 大きなオートバイメーカーである。 日本の本田技研工業(以下ホンダという)から技術供与を受け、主に250cc以下の小型排気量 のスクーター、アメリカンバイク、ATV等の生産を行っている。 ホンダとの技術提携の上で台湾 国内においてホンダブランドで販売していたメーカーであり、今ではヨーロッパを中心に世界50ヶ 国、年間30万台を輸出している。 |
|
| 三陽工業 (San Yang Industry) | |
| SYM (三陽機車) は、台湾の三陽工業 (San Yang Industry) が製造するオートバイのブランド。日
本ではKYMCO(光陽機車)と共に台湾製スクーターのブランドとして知られる。 本田技研工業の技術協力によりオートバイの生産を開始した。 三陽工業は本田技研の二輪車 や四輪車のライセンス生産を行っていたが、提携を解消してからは韓国の現代自動車と技術提 携し四輪車をライセンス生産している。 |
|
| MPI社(Motive Power Industry 社) | |
| PGO
PGOは台湾のスクーターメーカーMotive Power Industry 社のブランドです。 MPI社は1964年にYou Chan Machinery Manufacturing 社と合併し、その後イタリアのピアジオ社と技術提携を結び、ライセンス販売等でノウハウ蓄積してきた。 その後、MPI社は独自のスクーターの技術開発、製造販売に乗り出し、1996年に独自ブランドPGOを立ち上げる。 以後海外にも進出し、スクーターレースにも参戦、ヨーロッパにおいても高い評価を受けている。 |
| 韓国 | ヒョースン |
| ヒョースンモーターは、韓国のオートバイメーカー。 漢字では「暁星」と表記する。 1978年に創業すると、翌年にはスズキと技術供与契約を結ぶ。 125cc以下のスポーツモデルの ほか、二輪免許制度の関係により韓国内ではなじみの薄い250ccクラスのモデルも生産してい る。 技術開発には熱心で、独自のエンジン開発も進めているが、日本やイタリア製、アメリカ製の バイクのデザインを参考としていると思われる点が垣間見える。 少量ではあるが日本への輸出 も行っており、2007年からはオートバイ販売チェーン店のレッドバロンが取り扱いを開始している。 |










